Bonjour フレッドです!
前回少しお伝えした通り、“ファティマの奇跡”と呼ばれる現象はポルトガルだけでなく、ヨーロッパにも影響をもたらしました。このおかげで何百万もの命が救われたと言えるでしょう。今回はこの現象について当時の状況も含めてもう少し詳しく見ていきたいと思います。
(パート1・パート2)
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1917年、当時羊飼いだったJacintaは、非常にシンプルなカトリックの教育を受け育ちました。一緒に羊の面倒を見ていた兄のFranciscoや従姉妹のLuciaがそうであったように、教えに忠実に、“嘘をつかない”ことはとても重要な事でした。

この子ども達は、後に全てが事実であると判明した、いくつかの重要な予言をしました。
では、それは一体具体的にどんなことだったのでしょう?
ある日彼らが羊を放牧していると、天使が現れ、その後聖母マリアが現れたと子供達は話します。それから6ヶ月の間、毎月13日に聖母マリアは現れ、人類を救い死者が出ないようにするためのアドバイスと警告をしたというのです。
子ども達のこれらの証言は、両親達をはじめとした地域の大人達や教会関係にも信じてもらえませんでした。ましてや反キリスト教の権力のある人達はもちろんです。
そのため子供たちは、みんなに信じてもらうために、聖母マリアに奇跡を起こしてほしいと頼みます。この間、彼らと一緒に月に1回マリアに会えることを期待した人達が少しずつ加わるものの、Jacinta達3人にしか聖母マリアは見えなかったと言われています。

(三人の羊飼いの子供達の前で起きた“奇跡”を伝えるイラスト)
そして7/13に聖母マリアが現れた際、三ヵ月後の10/13に奇跡を起こすとJacinta達に約束したのです。
しかしその間、このような現象(聖母マリアに出会う)を目にしたというJacinta達の命は脅かされ、Luciaに至っては母親からも信じてもらえず、嘘をついた罰としてひどい仕打ちを受けます。カトリックの家庭にとってはこのような嘘をつくというのは深刻な問題です。
ついに政府はJacinta達を数日間刑務所に入れてしまいます。嘘をついていたと白状させるため、そして事実であるなら、聖母マリアから実際にはどんな秘密を聞いたのかを聞き出すためでした。
数々の脅しにもかかわらず、Jacinta達は自分達の姿勢を貫きました。すると70,000人がその奇跡をひと目見ようと、10/13に集まってきました。10/13に奇跡が起きるという子供達の予言は、これを嘲笑していた反キリスト教のメディアによって既に世に知らせられており、キリスト教に反対するジャーナリスト達も立ち会ったのです。そしてJacinta達の親もそこへ集まりました。なぜならもしこの奇跡が起こらなければ、予言を話した子供達が殺されると考え、その際には親である自分達も共に死のうと考えていたからです。
すると・・・その“奇跡”が起こります!
「太陽のダンス」(フランス語でla dance du soleil)と呼ばれる未知の現象が起こったのです。 この不思議な現象はポルトガルを大きく変え、前回お話したように第二次世界大戦の歴史にも影響を及ぼします。


1917年10/13の“ファティマの奇跡”を伝える新聞記事

1917年10/13の「太陽のダンス」現象が起きた際の写真
それでは、Jacinta達が聖母マリアから聞いたとする内容について見てみましょう。
最もよく知られているのは、10/13の「太陽のダンス」と呼ばれる約7万人が目にした現象です。
フランスの新聞Le Figaroは、この現象から100周年を迎えた2017年にも記事を出しており、この現象のミステリーと科学的に説明できない点を伝えています。
たとえそれが非常に稀な未知の自然気象現象であったとしても、どのようにしてJacinta達3人の子供が90日前に、日時を正確にこの現象を予言できたのでしょうか?Le Figaroでは、この”奇跡“を認めざるを得ないと伝えています。
イギリスの新聞The Guardianも、ファティマの奇跡について触れていますが、この出来事を子ども達が予言できていた事については言及していません。
「太陽のダンス」(la dance du soleil)と聖母マリアの出現を信じるか否かというよりも、このような現象を最も信じない人達が認めたということは大きなポイントです。
6ヶ月間、毎月13日に起きた事を詳細に証明することは誰もできないのですが、1917年10月13日の特別な出来事については多くの証人がおり、否定することができません。

また、子ども達が“予言”していたことは他にもあります。
第一次世界大戦が終わるという予言(当時1917年)
ロシアから共産主義がもたらされること。そしてその結果、キリスト教とそして世界全体における破滅的な結果をもたらすこと。(gauchismeの一つの顔である共産主義は、100万もの死者を出しました。)それは単に“共産主義”なだけではなく、ルーツを同じくするgauchismeの動きです。この予言は今現在の私達にも関係するものです。当時子供達は“共産主義”という言葉を一切用いることはなく、しかし1917年にまさに共産主義になったロシアに対し、“ロシアの過ち”という言葉を用いていました。この共産主義とは、反キリスト教です。
Jacintaは、三人の羊飼いの一人である兄のFranciscoの近い死と、そして自身が10歳で死を迎えること(当時7歳)を語りました。
なお、Jacintaの死から15年、彼女の墓地は掘り起こされ、そのインパクトのある表情が公開されました。
第二次世界大戦がはじまる前に、空に何らかの光が現れるという予言。
実際に、1938年1月25日の夜に、オーロラが出現しました。フランスはもちろん、ヨーロッパ南部でまで観測することができました。その二ヶ月後にドイツ軍がオーストリアに攻め入ると、戦争がスタートしたのです。
このようなオーロラはヨーロッパ南部で観測されることはまずなく、非常に珍しい現象が起きたと言えます。しかし子ども達のうちの一人Luciaによると、それはただのオーロラではなかったというのです。
上記はそのオーロラの様子を伝える新聞記事。(左上部の記事)
こちらのサイト(リンク)でも、この天候現象についての記録をご覧いただけます。
では、子供達はどうやって21年も先に起きるこのオーロラを予言できたのでしょうか?(とはいえ、通常のオーロラとはサイズも色も大きく異なるこの現象のため、本当の“オーロラ”かどうかは分かりません)
そして他にも子供達は次のようなことを”予言”していました。
第二次世界大戦の前に、スペインで内戦が起きるという予言。スペインは実際に1936年から1939年まで内戦となり、多くの宗教者は残虐な殺害を受けました。
第二次世界大戦についての予言。
他にも後に事実であることが証明された数々の事象についての予言。
1917年という時代を考慮すると、子供達が自分達の目にしたことを、常に事実として内容を曲げずに周囲に伝えてきたということも驚くべきことです。
さらに子ども達は、マリアが3つの秘密を教えたと言っています。
最初の二つはとても有名で公開されているものですが、三つ目の秘密は論争を巻き起こしました。この三つ目の秘密は、JacintaのいとこのLuciaがカトリック教会に託しましたが、Luciaの要求通りに取り扱われることはなく、2000年にようやく当時のローマ教皇によって公開されます。しかしその内容から、事実を公開したのではないという声の多いものでした。
多くの人々が言っているように、もし共産主義者がカトリック教会(を破壊するため)に紛れ込んでしまっていたとしたら、この三つ目の秘密の本当の内容が明かされなかったことは当然でしょう。
1960年代以降の時の教皇達が言っていることは、それ以前の当時の教皇達が言っていたことと異なっていても当然でしょう。
なぜなら1960年代が境になるのは、この頃にバチカン2と呼ばれる第2バチカン公会議が数年にわたり開かれ、それまでの数々のしきたりが変わるきっかけとなった時期だからです。
”ファティマの奇跡”以外でも、聖母マリアが現れたという現象は報告されており、中でも1846年のフランスLa Saletteでは、マリアは”ローマ(=バチカン=カトリック総本山)は将来信仰を失い、反キリストの中心になるだろう”と警告したと言われています。
La Salette (France)
« Rome perdra la foi et deviendra le siège de l’antécrhist »…
(La Saletteの予言)
日本では秋田が有名です。
次回パート4は、“ファティマの奇跡”、3つ目の願いの本当の意味とは?です。
次回をお楽しみに!
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(La Saletteの予言)