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フランス人のメンタリティとキリスト教との深いかかわりとは?

2017.12.02 Blog ブログ

Bonjour c’est Fred,

このblogでは何年も前からフランス文化における古代ギリシャ文明の影響をいくつかの記事で書きましたが、
実は古代ギリシャよりもっとも大きく影響してきたのはキリスト教です。
ソクラテスの哲学やキリスト教の思想は二つとも人の善徳を磨いて、悪徳から自由になるという同じ目的があります。
なので、ソクラテスもキリストも大多数に嫌われて殺されたわけです。

キリスト教(カトリック)の影響は、もちろんフランスに限らずヨーロッパの国々、
南米もちろんそして日本までありましたね。

この回のブログからしばらく私は、このキリスト教とフランス人のメンタリティとの関係、
フランス人の考え方、フランス社会などなどとの関係をいくつかの記事に分けて書いてみたいと思います。

496年のClovisの洗礼から:
フランス語学校のブログ、キリスト教とフランス人

フランスにいろんな形で影響を与えたのは何よりもキリスト教なので、
フランスの文化に興味がある方こそ、キリスト教の基礎を知った方がいいと思います。

古代ギリシャの考えとちょっと違う観点である宗教的観点なので、
論理だけではなくて、信仰という世界に入ります。
そのため反科学的に見えますし、現在、多くの人には悪いイメージがあります。

哲学は論理(脳)の世界ですが、宗教は信仰(心)の世界なので、
フランスの有名な哲学者であり数学者である有名なBlaise Pascalは:
“Le coeur a ses raisons (理由)que la raison(理性) ne connaît pas.”と言いました。
直訳すると“理性が理解できない理由を心が持っている”。
フランス語では理性と理由は意味が違っても、同じ単語(raison)を使います。
日本語に訳すと言葉遊びがなくなってしまうけど。。。
(wikiはこちら

フランス語学校のブログ、キリスト教とフランス人

まず、とても単純な言い方をすると、“フランス人”と言っても私が思うに2つの種類の“フランス人”がいます。
キリスト教の精神を受け継いだ人達、
そして反対に、フランス革命的思想を受け継いだ“極端な共和国派”です。
もちろん、この両極端の間にはいろんなフランス人がいます

つまりフランスという場所に、
二つの反対の文化、メンタリティ、フランス人のタイプ、考え方、価値観が共存しています。

キリスト教の影響の具体的な例えを一つ挙げてみましょう:

“フランス人が謝らない”とは、日本人の生徒さんからよく聞く話です。
しかし私は逆に“フランス人”は元々、すごい謝る国民だと反論したいです!

そういうイメージがある理由は:
1)その通りだから(=間違えているのに認めない)
2)日本人より、“理屈を言う”文化を古代ギリシャから受け継いでいますし、
おそらくGauloisの頃からそうだったかもしれません。
(フランス人の先祖であるLes Gauloisについて調べて見たい人は
とりあえずAsterix et Obelixという有名な漫画から読んでみると、入りやすいです。)
この漫画を見たことはありませんか?
フランス語学校のブログ、キリスト教とフランス人
(photoはこちらから)
3) キリスト教の影響を受け継いでいない“共和国的思想を持っている人”だから。
4) 古代ギリシャ、ソクラテスの教えを受け継いでいないから。
(ソクラテスは人を批判するより、批判される方がすごいラッキーなことだと論理的に言っていました。
ソクラテスは正しく批判されたら感謝を感じるのですが、
多くの現代人はこの場合、むしろ軽蔑されているように感じてしまうのです。)

フランスでは、キリスト教徒が多かった時代、反省することはとても大事なことでした。
そして、自分の心の中にだけではなく、教会に行って司祭に反省すべきことをみとめ反省して、後悔する、謝るのです。
そのような行動をすることにより、罪が消えると言われています。

というわけで本来、フランス人は本当はすごく謝る“国民”なのです。
日本人の国民性も外国人から見ると、すごい謝るそして反省する国民性のイメージですね。

私から見るとキリスト教徒のフランス人と、仏教国の日本人はそう言う面で似ていると思います。

いずれにしても、認めない方がかっこいいと勘違いしている人はいます。
間違いを認めない方が安全・安心と勘違いしています。
そこを、キリスト教は逆だと説いています。

では、どうしてキリスト教では謝らなければいけないか?
反省すべきか?
ミス、間違い、罪、簡単に言うと悪を犯してしまった時に、その悪を反省しない限り許されないからです。
フランス語学校のブログ、キリスト教とフランス人

私のレベル低い解釈によれば、悪を許す=悪の共犯、だから悪を許してはいけません。
しかし、悪を心から反省した瞬間、自分の中の悪が消されます。
なので、“我らに罪をおかす者を、我らがゆるす”ことができ、
反省した人を許すことは実にとてもうれしい事になるわけです。

そして、相手は反省しなくても、その人を嫌うのではなく、
その人の中にある悪、悪徳を嫌うべきです。
でもこの区別は実際にはすごい難しいことだけどね。。。

そういう意味で“敵も愛すべきです”とキリストは言いますが、
敵の悪意、敵の罪、敵の悪徳などではなくて、罪を背負って、
反省しない限り許されない同じ人間として愛すべきだという意味だと思います。
そのまま地獄に落ちるからです。実際にこれを思うことももっと難しいことです。
なので、キリスト教では今世、生きているうちに反省しないと、
他世では手遅れになってしまうからです。
そして、善徳を得るためにも、今世で努力しておかないと手遅れになるという考え方です。

一方、簡単な言い方をすると極端なフランス革命的・共和国的思想においては、
一般的にキリスト教の思想と矛盾しているからキリスト教徒ではなく、神を信じていないし、
逆に人間はもともと善だと思っているので、犯罪を犯した犯人に対して、全然反省しなくても、許してしまう傾向があります。
フランスでは、今犯罪が多い理由の一つは犯罪者に厳しくないからです。
それで自分や社会が優しいと勘違いしていると思います。
なぜなら悪を許すなんて、決して優しいことではないです、真逆です。

極端な共和国的思想の中では、犯罪者の罪について、
その人のせいではなくて、社会のせいにしてしまう傾向があります。
だからこそ、フランス人がなかなか謝らない根本的理由はやっぱり、
キリスト教の考え方と正反対、人間が元々いいと思っているので、つまり自分を含めて、あやまちを犯しても自分が悪くないと思って、言い訳を探すということになってしまいます。大変ですよね!!!(笑)

キリスト教徒のフランス人は人間が元々悪いと思っているので、
自分を含めて、間違いは割と認めやすいフランス人のタイプです。
自分は全然完璧ではないと強く意識をしていて、
自分の中にある悪徳そして、まだ足りていない善徳も意識をしていますので、ミスを割と認めやすいです。

それもあって、キリスト教徒の人は善徳を得るために、勉強などをしていますが、
自分は十分だと思っている人達は当然に“もっとよくなろう”と思う必要はないので、成長もなかなか難しいです。

最近は男性までが見た目をあまりに気にするあまり、
化粧や刺青をしたり、ファッションビクティム化したり、プロテインを飲んだりするのですが、
ソクラテスは、男性は見た目を気にしすぎては男らしくないというようなことを言っていました。

見た目のため、健康のため、仕事のため・・・etc.
そのような理由に向き合う機会は多いですが、物事の本質や自分の善徳・悪徳に向き合うことを大切にしている人は
今のフランス社会では少なくなってきたように思います。

キリスト教ではそれこそ(それだけ)が大事と説いています。

現代は、昔よりも技術的な面で進んでいるので人間自体も進んでいるという勘違いがあるのですが、
私が思うには本当に真逆です。

次回の記事では、フランス人・フランスの文化の話を続ける前に、
キリスト教をもっと知りたい方に、いくつかのいい本をご紹介します。

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